2009年01月21日
日本の景観の謎
そういえば、昔から、日本の景観に関して、どうしても解けない、1つの大きな謎がある。
「自分の考え」より、何より、他人がどう考えてるか、「他の人がどうしてる」か、をメチャクチャ気にする国民性の日本人。自分の考えを捨ててでも、何より協調性を重んじて、周りの人に合わせてしまう国民性を持った、日本人なのに、なぜか住宅や建築物の建築デザインは、特に昭和40年代以降は、周りとの調和を全く考えず(特に住宅街。建築条例のある地区を除く)、自分の好き勝手に、建て放題~!☆、なこと。
隣の家が、吉村順三設計の料亭風な日本家屋でも、自分の家はアメリカン・カントリー調。隣がモダン建築でも、うちは新古典主義風。
隣は古民家なのに、うちはネオンがキラキラの、パチンコ屋みたいな建築。煉瓦の洋館風の家の隣に、ピンクの壁の家。
というか、そもそも、隣の建築どころか、周りの山や川や田畑などの地形に対する景観的調和を、これっぽっちも考えてないことが、何より重大な問題!!。
多分、そうやって周りへの調和を考えずに建築物を建てまくったことが、日本の都市景観の破壊へつながったんじゃないのかな?。(未秩序な都市計画、および、都市計画法の未熟さと、その法律に景観的縛りがないことも、原因であるけど)
協調性を重んじる日本人が、なぜ、自分の気のおもむくままのデザインに、勝手し放題、家を建てているのかは、大きな謎。隣が日本家屋なら、協調性を重んじる日本人なら、なぜ、自分の家も、日本家屋のデザインにしないのだろう?。日本家屋にしなかったとしても、なぜ、隣りの日本家屋の雰囲気を壊さないように配慮したデザインで、自分の家を建てないのだろう?。
社会生活の中で、協調性を重んじて、自分の考えをさらけだせない日本人が、建築の場では、つい、自分の考えを、思うままのデザインで、さらけだしてしまってるのが原因だったりして!?(んなことが原因じゃないと思うけど)。
誰か、研究者の方、この謎を、分かりやすく究明してくださ~い。
※とはいえ、アミカスという図書館で、昭和の解説本の写真を見てたら(10冊くらいあるの)、古い銀座?の建物の写真を横並びに、ずら~っと並べた写真を見てたら、統一感が欠けてることに気づいた。戦前の昭和初期の建物のファサード群。街並としては、今の街並みよりも、はるかに統一化や景観に優れていたとはいえ、日本の景観のコンセプトには、昭和の初期から(ひょっとしてそれ以上前から?)、案外、統一感というのが欠けてたのかも。それ以外にも、日本の町並みが、都市化(または、文化の現代化)の過程の中で、今だ成熟していない、という事もあるでしょうね。
「自分の考え」より、何より、他人がどう考えてるか、「他の人がどうしてる」か、をメチャクチャ気にする国民性の日本人。自分の考えを捨ててでも、何より協調性を重んじて、周りの人に合わせてしまう国民性を持った、日本人なのに、なぜか住宅や建築物の建築デザインは、特に昭和40年代以降は、周りとの調和を全く考えず(特に住宅街。建築条例のある地区を除く)、自分の好き勝手に、建て放題~!☆、なこと。
隣の家が、吉村順三設計の料亭風な日本家屋でも、自分の家はアメリカン・カントリー調。隣がモダン建築でも、うちは新古典主義風。
隣は古民家なのに、うちはネオンがキラキラの、パチンコ屋みたいな建築。煉瓦の洋館風の家の隣に、ピンクの壁の家。
というか、そもそも、隣の建築どころか、周りの山や川や田畑などの地形に対する景観的調和を、これっぽっちも考えてないことが、何より重大な問題!!。
多分、そうやって周りへの調和を考えずに建築物を建てまくったことが、日本の都市景観の破壊へつながったんじゃないのかな?。(未秩序な都市計画、および、都市計画法の未熟さと、その法律に景観的縛りがないことも、原因であるけど)
協調性を重んじる日本人が、なぜ、自分の気のおもむくままのデザインに、勝手し放題、家を建てているのかは、大きな謎。隣が日本家屋なら、協調性を重んじる日本人なら、なぜ、自分の家も、日本家屋のデザインにしないのだろう?。日本家屋にしなかったとしても、なぜ、隣りの日本家屋の雰囲気を壊さないように配慮したデザインで、自分の家を建てないのだろう?。
社会生活の中で、協調性を重んじて、自分の考えをさらけだせない日本人が、建築の場では、つい、自分の考えを、思うままのデザインで、さらけだしてしまってるのが原因だったりして!?(んなことが原因じゃないと思うけど)。
誰か、研究者の方、この謎を、分かりやすく究明してくださ~い。
※とはいえ、アミカスという図書館で、昭和の解説本の写真を見てたら(10冊くらいあるの)、古い銀座?の建物の写真を横並びに、ずら~っと並べた写真を見てたら、統一感が欠けてることに気づいた。戦前の昭和初期の建物のファサード群。街並としては、今の街並みよりも、はるかに統一化や景観に優れていたとはいえ、日本の景観のコンセプトには、昭和の初期から(ひょっとしてそれ以上前から?)、案外、統一感というのが欠けてたのかも。それ以外にも、日本の町並みが、都市化(または、文化の現代化)の過程の中で、今だ成熟していない、という事もあるでしょうね。
2008年11月28日
町並みが示すもの
バブルのはじけた日本が、新自由主義の経済の流れに飲み込まれ、月日が流れ、2008年秋に、リーマンブラザーズが破綻したら、私の住んでる町にある、近年特に土地を買いまくっては、開発を行って、それを投機対象として、外資系の企業に売ってた、新興の有名な不動産会社が、倒産した。とても派手に見えた会社だったけど。バブルがはじけた時と同じように、街の中心部に、建物を壊して更地にしたまま、建設計画が中止になった、さびしい空き地が沢山できてしまった。
ハッと、気づいてみたら、90年代のバブルがはじけた後よりも、80年代の、バブルの前の時よりも、町並みが貧しく、汚くなってた。大きなビルや、郊外のショッピングセンターやスーパーなど、新しいビルは沢山できたのにね。日本の財産や、精神的な物は、昔より豊かになったと、言えるのかしら?。うーーん。豊かになった、と言えるように、なりたいね。そうしたいね。
と、私のお気に入りのブログ「旅音」の、横浜トリエンナーレの記事を見ながら、ふと感じた。
http://www.tabioto.com/kmr/2008/11/post_56.html
ハッと、気づいてみたら、90年代のバブルがはじけた後よりも、80年代の、バブルの前の時よりも、町並みが貧しく、汚くなってた。大きなビルや、郊外のショッピングセンターやスーパーなど、新しいビルは沢山できたのにね。日本の財産や、精神的な物は、昔より豊かになったと、言えるのかしら?。うーーん。豊かになった、と言えるように、なりたいね。そうしたいね。
と、私のお気に入りのブログ「旅音」の、横浜トリエンナーレの記事を見ながら、ふと感じた。
http://www.tabioto.com/kmr/2008/11/post_56.html
2008年07月26日
薬師寺のTVを見て
ちょっと前に、NHKの特集で、奈良の薬師寺の薬師如来の特集があってて、とても面白かったです。薬師如来の左右に使えている、月光菩薩と日光菩薩の2体が、東京に巡回展示に行ったそうで、その関連と寺や仏像の歴史、また、普段は見れない、背中から見た映像などが放映されていて、とても素敵な番組でした。
仏像に詳しくないので、詳しいことがわかりませんが、奈良時代の最高傑作の1つと言われているそう。薬師如来も、とても素晴らしいのですが、この左右の月光菩薩、日光菩薩の2体が、仏像なのだけど、腰のライン、腰のひねり方等が、何ともいえず、肉感的で、色気があり、体に沿って落ちる飾り紐の造形など、大変美しくて、うっとりしてしまいました。
さて、仏像はもちろん、ため息が出るほどすばらしく、大変感動したのですが、それ以上に、この番組を見て、強い衝撃を受けたことが、ありました。薬師寺の建物で、奈良時代のまま現存しているのは、塔だけで、金堂などの大部分は、戦後に再建されたものです。それで、再建以前の薬師寺とその周辺の写真がTVに映りました。多分、今から60年ほど前の写真なのですが、薬師寺の周りの景観が、60年前と、今と、面影がひとかけらも無い位、変わっていたのです。そのことが、ものすごい衝撃でした。
60年前は、薬師寺の周りは木々に囲まれていて、そのさらに周囲は水田ばかりで、その中に小さな集落などが点在してて、薬師寺と同じような、こんもりした小さな森が、それらの集落の回りを取り囲んでいました。今では、跡形もなく水田は消えてしまっていて、森も、まったく残っていません。民家などの建物が、かっての水田の所に密集していて、まぁ、日本全国同じような、平均的な地方都市の光景というか、パチンコ屋みたいな派手な建物があったり、雑然としていて自然に乏しくて、昔のような風情はカケラもありませんでした。たった60年くらいで、どうして、こんなに景観が変わってしまうんだろう?。60年前は、あんなに田んぼがあったのに。どうして!?。そのことが、何より大変な衝撃でした。
仏像に詳しくないので、詳しいことがわかりませんが、奈良時代の最高傑作の1つと言われているそう。薬師如来も、とても素晴らしいのですが、この左右の月光菩薩、日光菩薩の2体が、仏像なのだけど、腰のライン、腰のひねり方等が、何ともいえず、肉感的で、色気があり、体に沿って落ちる飾り紐の造形など、大変美しくて、うっとりしてしまいました。
さて、仏像はもちろん、ため息が出るほどすばらしく、大変感動したのですが、それ以上に、この番組を見て、強い衝撃を受けたことが、ありました。薬師寺の建物で、奈良時代のまま現存しているのは、塔だけで、金堂などの大部分は、戦後に再建されたものです。それで、再建以前の薬師寺とその周辺の写真がTVに映りました。多分、今から60年ほど前の写真なのですが、薬師寺の周りの景観が、60年前と、今と、面影がひとかけらも無い位、変わっていたのです。そのことが、ものすごい衝撃でした。
60年前は、薬師寺の周りは木々に囲まれていて、そのさらに周囲は水田ばかりで、その中に小さな集落などが点在してて、薬師寺と同じような、こんもりした小さな森が、それらの集落の回りを取り囲んでいました。今では、跡形もなく水田は消えてしまっていて、森も、まったく残っていません。民家などの建物が、かっての水田の所に密集していて、まぁ、日本全国同じような、平均的な地方都市の光景というか、パチンコ屋みたいな派手な建物があったり、雑然としていて自然に乏しくて、昔のような風情はカケラもありませんでした。たった60年くらいで、どうして、こんなに景観が変わってしまうんだろう?。60年前は、あんなに田んぼがあったのに。どうして!?。そのことが、何より大変な衝撃でした。
2008年07月26日
モダンって
先日買った、建築雑誌(1年に2回出る不定期の雑誌)に、日本の伝統工芸の技術を生かして作ったモダンな品々が載ってました。言い換えると、ズバリ「伝統工芸品を、もっと今の人に買ってもらうために」今風なデザインに作り変えたもの。漆塗りのお椀とか、箸、バックやアクセサリーなど。その建築雑誌は、とても素敵な雑誌なのだけど、なぜか、その「和モダン」伝統工芸品特集ページの品は、(中には素敵な物もありましたが)総体的には、モダンデザインの中で、伝統工芸のすばらしさや魅力を、発揮していないように見え、あまり魅力的ではありませんでした。
私は、そういった伝統工芸の高度な技術は持っていないので、偉そうなことは言えないかもしれません。が、どうして、それらの工芸品が、魅力的に見えなかったのかについて、考えてみました。すると、それらは、デザインのセンスの問題、ではなく、それらが、「伝統工芸品を、若い人に受けるように、できる限り今風に、モダンに見えるように」作るという思想が非常に強い形に、見えるのが、問題であるように見えました。その一方で、形のデザインに関して、「伝統性の尊重」が、大変薄く見え、伝統に対するリスペクトが、希薄に見えたのです。(もちろん、手間ひま、心をこめて作られた、素晴らしい品だったのは、強調しておきたいです。素材的には、伝統に深いリスペクトを捧げた、素晴らしい品々でした)
伝統性を大事にしないのなら、別に、伝統工芸を主題に、それらのモダンな品々を作らなくて良いように思えます。モダンの形だけを借りてきても、伝統工芸のモダン化はできません。温故知新はデザインの世界でも大変大事なことで、デザインの世界の中では、古いものを知らないと、新しいものは、作り出せないのが定石です。それらの和モダンの品々は、素材的には、伝統を大事にしていますが、形的には、まったく伝統に敬意を払っていないように、見えました。そうやって、形;スタイルだけモダン化したものよりも、むしろ、伝統に忠実に作ったシンプルな物や(鍛冶作業で作られた日本の和バサミとか、絣の柄とか、縞模様とか、伊勢辰の千代紙とか、かまわぬの手ぬぐい等)、伝統を重んじて作ったものの方が、むしろモダンで粋に見える気がします。
私は、ブラジル音楽が大好きなのですが、ブラジル音楽を通じて学んだ大事なことの一つが、自分たちの文化のルーツを大事にすること、伝統性を大事にする、ということです。ブラジル音楽は、基本的に、伝統をとても大事にしています。音楽マニアに好まれるアート的な音楽だけでなく、ヒットチャートにのぼるポピュラー音楽でも、伝統的要素を持った音楽が、沢山あります。そうやって、自分たちの文化を大事にすることは、普段聞いている自国の人にとっては、伝統を誇りを感じて、伝統的要素に愛着を感じるし、そして何より、慣れ親しんだ心地良さがあることが、大変喜ばしいことです。私たちのような外国人にとっては、その国らしさを持っていることが、大変な魅力となります。
それに、外国のスタイルを借りてきて、それを真似しようとしても、その本場のものに勝るなんて、相当時間がかかって、難しいじゃないですか?。それだったら、外国の真似をするより、もともと自分たちがノウハウを持っていて、他の国の人が真似することが難しい、自分たちの文化を作りつづける方が、優れたものを生み出していく為には、一番じゃないかしらん(もちろん、日本文化も、混血文化であり、外国の文化を真似したり、影響されたりで、外国文化を取り入れ続け、それらを自分たちの物としてきた事も、日本の文化の特性ですが)。
また、ブラジル音楽は、伝統性を持つと同時に、常に新しいジャンルのモダンな音楽を生み出し続けていて、その創造性、モダン性は、伝統を大事にし、古いものを研究する事の中から生まれてくるのかも、と思います。
建築家の伊東豊雄さんが、ずっと前の、CASA BRUTUSでのインタビューで、これらからの若手の建築デザインについて、「もっとにぎやかで猥雑で、生々しい生命力みたいなものを、理知的な美しさに対抗できるかたちで、どう実現できるかを考えてほしい」と言っていて、それを読んで、「ブラジル音楽は、それら2つが、当然のように融合できている」と表現した方がいたのですが、まさに、その通りだと思いました。生命力=伝統、理知的な美しさ=現代性、という訳ではないけれど、そう置き換えても、意味が通りそうです。
ブラジル以外の他の国では、伝統を基盤にすることなく、モダンを生み出そうとするスタイルもあるけれど、いくらモダンであっても、伝統性がなければ、「ある文化の産物である」ことに対する必然性が生まれないでしょう。イタリアンモダンだって、地中海の伝統スタイルに影響受けてるだろうし、コルビュジエだって、世界の伝統的な建物探訪の中から、モダンを生み出していったはずです。
伝統性を持たず、ただ、モダンであるだけであるなら、日本製でなくても、別に、どこの国の物でも良いでしょう。伝統モダンを目指すなら、「モダンの追求」より、「伝統の追求」の方が、作業の基盤として、優先順位が高いはずでは?。最近、その土地固有の物やネイティブなもの、ルーツ的な物に根ざした物に、特に惹かれるので、強くそう感じます(でも、同時にモダンも好きでーす。というか、シンプル好きなので)。
私は、そういった伝統工芸の高度な技術は持っていないので、偉そうなことは言えないかもしれません。が、どうして、それらの工芸品が、魅力的に見えなかったのかについて、考えてみました。すると、それらは、デザインのセンスの問題、ではなく、それらが、「伝統工芸品を、若い人に受けるように、できる限り今風に、モダンに見えるように」作るという思想が非常に強い形に、見えるのが、問題であるように見えました。その一方で、形のデザインに関して、「伝統性の尊重」が、大変薄く見え、伝統に対するリスペクトが、希薄に見えたのです。(もちろん、手間ひま、心をこめて作られた、素晴らしい品だったのは、強調しておきたいです。素材的には、伝統に深いリスペクトを捧げた、素晴らしい品々でした)
伝統性を大事にしないのなら、別に、伝統工芸を主題に、それらのモダンな品々を作らなくて良いように思えます。モダンの形だけを借りてきても、伝統工芸のモダン化はできません。温故知新はデザインの世界でも大変大事なことで、デザインの世界の中では、古いものを知らないと、新しいものは、作り出せないのが定石です。それらの和モダンの品々は、素材的には、伝統を大事にしていますが、形的には、まったく伝統に敬意を払っていないように、見えました。そうやって、形;スタイルだけモダン化したものよりも、むしろ、伝統に忠実に作ったシンプルな物や(鍛冶作業で作られた日本の和バサミとか、絣の柄とか、縞模様とか、伊勢辰の千代紙とか、かまわぬの手ぬぐい等)、伝統を重んじて作ったものの方が、むしろモダンで粋に見える気がします。
私は、ブラジル音楽が大好きなのですが、ブラジル音楽を通じて学んだ大事なことの一つが、自分たちの文化のルーツを大事にすること、伝統性を大事にする、ということです。ブラジル音楽は、基本的に、伝統をとても大事にしています。音楽マニアに好まれるアート的な音楽だけでなく、ヒットチャートにのぼるポピュラー音楽でも、伝統的要素を持った音楽が、沢山あります。そうやって、自分たちの文化を大事にすることは、普段聞いている自国の人にとっては、伝統を誇りを感じて、伝統的要素に愛着を感じるし、そして何より、慣れ親しんだ心地良さがあることが、大変喜ばしいことです。私たちのような外国人にとっては、その国らしさを持っていることが、大変な魅力となります。
それに、外国のスタイルを借りてきて、それを真似しようとしても、その本場のものに勝るなんて、相当時間がかかって、難しいじゃないですか?。それだったら、外国の真似をするより、もともと自分たちがノウハウを持っていて、他の国の人が真似することが難しい、自分たちの文化を作りつづける方が、優れたものを生み出していく為には、一番じゃないかしらん(もちろん、日本文化も、混血文化であり、外国の文化を真似したり、影響されたりで、外国文化を取り入れ続け、それらを自分たちの物としてきた事も、日本の文化の特性ですが)。
また、ブラジル音楽は、伝統性を持つと同時に、常に新しいジャンルのモダンな音楽を生み出し続けていて、その創造性、モダン性は、伝統を大事にし、古いものを研究する事の中から生まれてくるのかも、と思います。
建築家の伊東豊雄さんが、ずっと前の、CASA BRUTUSでのインタビューで、これらからの若手の建築デザインについて、「もっとにぎやかで猥雑で、生々しい生命力みたいなものを、理知的な美しさに対抗できるかたちで、どう実現できるかを考えてほしい」と言っていて、それを読んで、「ブラジル音楽は、それら2つが、当然のように融合できている」と表現した方がいたのですが、まさに、その通りだと思いました。生命力=伝統、理知的な美しさ=現代性、という訳ではないけれど、そう置き換えても、意味が通りそうです。
ブラジル以外の他の国では、伝統を基盤にすることなく、モダンを生み出そうとするスタイルもあるけれど、いくらモダンであっても、伝統性がなければ、「ある文化の産物である」ことに対する必然性が生まれないでしょう。イタリアンモダンだって、地中海の伝統スタイルに影響受けてるだろうし、コルビュジエだって、世界の伝統的な建物探訪の中から、モダンを生み出していったはずです。
伝統性を持たず、ただ、モダンであるだけであるなら、日本製でなくても、別に、どこの国の物でも良いでしょう。伝統モダンを目指すなら、「モダンの追求」より、「伝統の追求」の方が、作業の基盤として、優先順位が高いはずでは?。最近、その土地固有の物やネイティブなもの、ルーツ的な物に根ざした物に、特に惹かれるので、強くそう感じます(でも、同時にモダンも好きでーす。というか、シンプル好きなので)。
2008年06月21日
浴衣でサンドレス

↑クリックして拡大で見てみてくださいね。
実は、少しだけど、昔の浴衣や着物の生地で、ワンピースなどの洋服やバックなどの小物などを作ってます。
一ヶ月くらい前に完成した、サンドレス。布は、以前反物で買った、男性用浴衣生地。この反物を前に、何を作ろうか、あれこれ考えたけど、夏に着るようなサンドレスに。伝統的な和柄はとても好きだけど、コテコテに和!なデザインより、もっと現代的な物が、どっちかというと好き。これはブラジル人やイタリア人の女性が着るような、ラテン風なワンピースがイメージの元(ま、浴衣生地なんで、カジュアルだけど)。
和柄の浴衣生地だけど、ウェストにボーダーで使ったりしたら、元が幾何学模様なので、何か気のせいか、アラブっぽい柄に見えたりするのが、面白いです。が、布の柄は、ぼんやりした小さな柄に見えるけど、本当は、もっと、くっきりハッキリした柄。ウェストとか胸元に、ギャザー寄せたりして、手を加えてるんだけど、それが写真でよく分からなくて、残念!。服を写真に撮るのは、難しいな。
肩紐が、背中でクロスしてる、とか、後ろのアキは、共布で、小さなループを作って、3つのボタンで留めるようにとかも、少しだけ凝ってみました(写してないけど)。こういう、海辺やリゾートで着るようなデザインの、夏の服がとても好きです。
2008年05月09日
熊本の河原町
今まで、全然、更新してなかったのに、最近、いきなり連続アップです。しかも、今まで、「だ、である調」だった文章が、いきなり「です、ます調」になっています(笑)。
山鹿へ行ったときに、熊本市の河原町も行ってきました。熊本には、ずいぶん前ですが、少し住んだことがあるのですが、そのころは、河原町のことは、まったく知りませんでした。偶然、河原町のことをネットで知り、古く寂れたシャッター街に、若いクリエーターのショップを集めて、再開発しているということが、大変面白いアイデアで、とても興味を持ったのです。
河原町は、熊本城に近い場所にあり、以前は、繊維問屋が集まった、問屋街だったそうです。戦後のヤミ市が、その元になっているとのこと。しかし、時代の流れと共に、問屋の数が減っていくにつれ、シャッター街になってしまったのですが、クリエーターなど若手の出店者を募り、活性化をはかるプロジェクトとして、再開発を行い、現在、カフェや古着物屋、ケーキ店、ギャラリー&バー、インド雑貨店、建築事務所、洋服店などが集まっています。1つの店の大きさはとてもコンパクトで、4畳半前後。
私が行った日は、日曜日だったのですが、何と開いてる店が、5つほどしかありませんでした。店の人にきくと、一番店が開いてるのは、金曜日とのこと(笑)。町の様子がよく分からなかったのが、残念でしたが、小さな店の集まった、商店街のような小さなアーケード街に、クリエーターを集めて活性化をはかる、というのは、とても素晴らしいアイデアだな、と思いました。
私は福岡市在住なのですが、福岡市内には、クリエーターを集めたビルはありますが(冷泉荘など)、街の一角にクリエーターを集めた地区はないので、街ごと再開発というのが、とても興味深いです。
河原町文化開発研究所
http://www.kawaramachi.net/
山鹿へ行ったときに、熊本市の河原町も行ってきました。熊本には、ずいぶん前ですが、少し住んだことがあるのですが、そのころは、河原町のことは、まったく知りませんでした。偶然、河原町のことをネットで知り、古く寂れたシャッター街に、若いクリエーターのショップを集めて、再開発しているということが、大変面白いアイデアで、とても興味を持ったのです。
河原町は、熊本城に近い場所にあり、以前は、繊維問屋が集まった、問屋街だったそうです。戦後のヤミ市が、その元になっているとのこと。しかし、時代の流れと共に、問屋の数が減っていくにつれ、シャッター街になってしまったのですが、クリエーターなど若手の出店者を募り、活性化をはかるプロジェクトとして、再開発を行い、現在、カフェや古着物屋、ケーキ店、ギャラリー&バー、インド雑貨店、建築事務所、洋服店などが集まっています。1つの店の大きさはとてもコンパクトで、4畳半前後。
私が行った日は、日曜日だったのですが、何と開いてる店が、5つほどしかありませんでした。店の人にきくと、一番店が開いてるのは、金曜日とのこと(笑)。町の様子がよく分からなかったのが、残念でしたが、小さな店の集まった、商店街のような小さなアーケード街に、クリエーターを集めて活性化をはかる、というのは、とても素晴らしいアイデアだな、と思いました。
私は福岡市在住なのですが、福岡市内には、クリエーターを集めたビルはありますが(冷泉荘など)、街の一角にクリエーターを集めた地区はないので、街ごと再開発というのが、とても興味深いです。
河原町文化開発研究所
http://www.kawaramachi.net/
2008年05月08日
伝統柄の浴衣メーカー
今の浴衣は、サイケデリックとも言えるほど、とてもカラフルで、昔ながらの手染めみたいな浴衣の柄の方が、カワイイと思うことが多いです。でも、昔の伝統的手染めの浴衣は、やはりとても高くて、反物1つ1万~3万くらいする。それでも、今時の柄の浴衣より、伝統的な絵柄の浴衣に魅力を感じてしまいます。
ネットで、今も伝統柄の浴衣を発売してる所を探してたら、いくつか老舗のメーカーが見つかりました。大変素敵な柄が多くて、うっとり。紙を切り抜いて作った型紙を元に、染めるらしいですよ。こういった柄を染めるには職人技を要するそうで、後継者問題etcで、廃業する工場もあるらしく、なかなかこういったメーカーは大変みたいです。でも、「かまわぬ」の手ぬぐいは、大変人気があるので、同じように、こんな素敵な浴衣柄を作ってるメーカーが、もっと注目をされるといいな、と思います。
江戸創業の老舗、竺仙のHP
http://www.chikusen.co.jp/
東京本染の老舗、新粋染。ここで、商品が見れます。カワイイ!。
http://shop.yumetenpo.jp/goods/goodsList.jsp?action=goPage&st=kimonoya.co.jp&pageSize=2
新粋染に電話で聞いたら、新粋染は問屋で小売をしていないので、HPは持ってないそうです。
京都の紫織庵(大正・昭和に流行したレトロな浴衣柄を復刻してる)
http://www.shiorian.com/index.html
京都のトキワ商事(HPにはあまりデータがないけれど、「夏すがた」という浴衣ブランドがカワイイ)
http://www.tokiwa-syoji.com/
ネットで、今も伝統柄の浴衣を発売してる所を探してたら、いくつか老舗のメーカーが見つかりました。大変素敵な柄が多くて、うっとり。紙を切り抜いて作った型紙を元に、染めるらしいですよ。こういった柄を染めるには職人技を要するそうで、後継者問題etcで、廃業する工場もあるらしく、なかなかこういったメーカーは大変みたいです。でも、「かまわぬ」の手ぬぐいは、大変人気があるので、同じように、こんな素敵な浴衣柄を作ってるメーカーが、もっと注目をされるといいな、と思います。
江戸創業の老舗、竺仙のHP
http://www.chikusen.co.jp/
東京本染の老舗、新粋染。ここで、商品が見れます。カワイイ!。
http://shop.yumetenpo.jp/goods/goodsList.jsp?action=goPage&st=kimonoya.co.jp&pageSize=2
新粋染に電話で聞いたら、新粋染は問屋で小売をしていないので、HPは持ってないそうです。
京都の紫織庵(大正・昭和に流行したレトロな浴衣柄を復刻してる)
http://www.shiorian.com/index.html
京都のトキワ商事(HPにはあまりデータがないけれど、「夏すがた」という浴衣ブランドがカワイイ)
http://www.tokiwa-syoji.com/
2008年05月04日
ツギハギだらけの木綿布
福岡の天神にある警固神社で骨董市があってたので、見に行ってきました。骨董市というと、染付けの陶磁器等が中心かと思ったのですが、結構、着物類もあって、4店舗が着物や和布を売っていました。最近は、福岡でも骨董市が人気があるそうで、でも、まだ行ったことがないのですが、聞いた話では、古着物を売ってる店も、すごく沢山あるそうです。有名なのは、箱崎宮と大宰府。
さて、警固神社の骨董市では、やはり、絹の晴れ着や人気の絣などの店が多かったのですが、一軒の店で、大変面白い物を見せていただきました。縞や絣、型抜きの染めの旗、などの日本の木綿の布ばかり売ってる店で、考えてみれば、とてもマニアックな店だったのですが、その店主のおじさんが、つくろい物をなさってました。私が近づくと、作業を止められて、回りの布の説明をされました。そのおじさんの足元に、何か、ぼろ布の山が広がっていて、でも、それは、見るからにすごく古そうで、とても味のあるものでした。
広げていただいたら、その布は、いろんな形の小さな木綿布を縫い合わせて、一枚の布にした物。本物の藍染めで、100年くらい前のものだそう。何度も洗いをかけて、きれいに風合いの出た、青の無地や、青と朱色の格子柄、江戸小紋、鮫肌小紋などの、たぶん、元は着古した着物などから、きれいな部分を取って、手縫いで、ランダムに縫い合わせた、布団かけだったのです。所々に、パッチワークのキルトのように、補強のための、ざっくりした手縫いのステッチが入っています。布の大きさや柄は、全くバラバラで、デザインというより、ただ、ひたすら布を縫い合わせただけの物。でも、一生懸命つなぎ合わせられたハギレが、とても生き生きとしていて、なんだか、モダン・スタイルの絵画のようで、格好よかった。
けれど、それは、少しでも使える木綿の布を、捨てずに繋ぎ合せ、大切に作られた物でした。非常に貧しい生活の工夫だったのでしょう。その布を見たとき、本当にびっくりしました。当時、木綿は大変に貴重だったそうです。木綿と言っても、それは、栽培した綿から、糸を紡いで、色で染めて、そして自分で、機織機で織った、大変な時間のかかった物。そうやって織り上げた布地は、着物などでクタクタになるまで使って、擦り切れて破れても、まだ使えるところは、別の物に作り変えたり、つなぎ合わせたりして、再利用したそう。その布団かけは、そうやって、作られた物でした。一体どんな人が、どんな思いで、この布団かけを作ったのかしらん?。
何号か前の雑誌クーネルの「捨てないはぎれ」号で、丹波縞の特集があって、その中で、昔、綿の節約の為に布団の中に入れた中入れ布という物が紹介されてました。それが、やはり、ツギハギだらけで出来た布で、その中で一番小さな布は、2センチ角。昔の人が、木綿の布を大事にした様子がしのばれます。
このお店に、もうひとつ、同じような同時代の古布の藍染めの小キレをつなぎ合わせたものが置いてあって、それは、さらに、ぼろぼろに穴があいてて、本当に使い古した物でした。それは、東北で仕入れてこられた布で、おそらく、コタツの下敷きに使われてたのでは?、とのことでした。当時、東北では、木綿が栽培できなかったので、すごく貴重なもので、九州などから、松前船で東北へ木綿が運ばれてきたそうです。東北では、木綿の代わりに麻を使っていたそう。そのボロボロの布から、100年前の東北の貧しい庶民の暮らしが伝わってくるようでした。
そういえば、ちょっと前に、親戚の家からもらった、古い着物や和布があるのですが、その中に、絣のハギレがありました。着物の前後の身ごろの部分で、切られたままの状態だったので、着物を作ろうとして中断した物なのかと思ってました。先日、その絣の布をよく見てみたら、古い縫い目を解いた糸の跡がポツポツと、所々に残っていました。その絣の布は、何かの着物を着古した後、それを解いて、洗いなおした物だったのです。そうやって、昔の人は、ひとつの布を大事に、繰り返し使っていたんですね。といっても、それは、まだ50年前ほどの事です。
さて、警固神社の骨董市では、やはり、絹の晴れ着や人気の絣などの店が多かったのですが、一軒の店で、大変面白い物を見せていただきました。縞や絣、型抜きの染めの旗、などの日本の木綿の布ばかり売ってる店で、考えてみれば、とてもマニアックな店だったのですが、その店主のおじさんが、つくろい物をなさってました。私が近づくと、作業を止められて、回りの布の説明をされました。そのおじさんの足元に、何か、ぼろ布の山が広がっていて、でも、それは、見るからにすごく古そうで、とても味のあるものでした。
広げていただいたら、その布は、いろんな形の小さな木綿布を縫い合わせて、一枚の布にした物。本物の藍染めで、100年くらい前のものだそう。何度も洗いをかけて、きれいに風合いの出た、青の無地や、青と朱色の格子柄、江戸小紋、鮫肌小紋などの、たぶん、元は着古した着物などから、きれいな部分を取って、手縫いで、ランダムに縫い合わせた、布団かけだったのです。所々に、パッチワークのキルトのように、補強のための、ざっくりした手縫いのステッチが入っています。布の大きさや柄は、全くバラバラで、デザインというより、ただ、ひたすら布を縫い合わせただけの物。でも、一生懸命つなぎ合わせられたハギレが、とても生き生きとしていて、なんだか、モダン・スタイルの絵画のようで、格好よかった。
けれど、それは、少しでも使える木綿の布を、捨てずに繋ぎ合せ、大切に作られた物でした。非常に貧しい生活の工夫だったのでしょう。その布を見たとき、本当にびっくりしました。当時、木綿は大変に貴重だったそうです。木綿と言っても、それは、栽培した綿から、糸を紡いで、色で染めて、そして自分で、機織機で織った、大変な時間のかかった物。そうやって織り上げた布地は、着物などでクタクタになるまで使って、擦り切れて破れても、まだ使えるところは、別の物に作り変えたり、つなぎ合わせたりして、再利用したそう。その布団かけは、そうやって、作られた物でした。一体どんな人が、どんな思いで、この布団かけを作ったのかしらん?。
何号か前の雑誌クーネルの「捨てないはぎれ」号で、丹波縞の特集があって、その中で、昔、綿の節約の為に布団の中に入れた中入れ布という物が紹介されてました。それが、やはり、ツギハギだらけで出来た布で、その中で一番小さな布は、2センチ角。昔の人が、木綿の布を大事にした様子がしのばれます。
このお店に、もうひとつ、同じような同時代の古布の藍染めの小キレをつなぎ合わせたものが置いてあって、それは、さらに、ぼろぼろに穴があいてて、本当に使い古した物でした。それは、東北で仕入れてこられた布で、おそらく、コタツの下敷きに使われてたのでは?、とのことでした。当時、東北では、木綿が栽培できなかったので、すごく貴重なもので、九州などから、松前船で東北へ木綿が運ばれてきたそうです。東北では、木綿の代わりに麻を使っていたそう。そのボロボロの布から、100年前の東北の貧しい庶民の暮らしが伝わってくるようでした。
そういえば、ちょっと前に、親戚の家からもらった、古い着物や和布があるのですが、その中に、絣のハギレがありました。着物の前後の身ごろの部分で、切られたままの状態だったので、着物を作ろうとして中断した物なのかと思ってました。先日、その絣の布をよく見てみたら、古い縫い目を解いた糸の跡がポツポツと、所々に残っていました。その絣の布は、何かの着物を着古した後、それを解いて、洗いなおした物だったのです。そうやって、昔の人は、ひとつの布を大事に、繰り返し使っていたんですね。といっても、それは、まだ50年前ほどの事です。
2008年05月01日
昔のゆかたの柄
2年くらい前に、浴衣を安く買おうとして、古着物屋で、安く浴衣を手に入れて以来、古着物屋巡りが好きです。着物もいいけど、値段がいいので、目の保養(それでも、普段着用なら、新品で買うより、全然安いし、セールを利用すると、ユニクロの洋服を買うくらいの値段で、着物が買えることもある)にするとして、比較的、浴衣は手ごろな値段だし、それに何と言っても、その柄の可愛さは、格別です。
そういえば、ずっと前に、普通の呉服屋の前で、20センチ角くらいの浴衣のハギレを、一枚100円で売ってたことがあって、何枚か買ったのだけど、今考えてみたら、それらは、どうも古いハギレだったようで、その柄のレトロさが、とにかく、涙ものです。今風にアレンジされた浴衣の柄は、胸ときめかないけれど、昔の浴衣のセンスには、ほんとドキドキしてしまう。マリメッコのファブリックもカワイイけれど、浴衣柄の可愛さは、北欧ファブリックに決して負けてません。





あまりきれいに撮れていない写真もあるので、おはずかしい。
そういえば、ずっと前に、普通の呉服屋の前で、20センチ角くらいの浴衣のハギレを、一枚100円で売ってたことがあって、何枚か買ったのだけど、今考えてみたら、それらは、どうも古いハギレだったようで、その柄のレトロさが、とにかく、涙ものです。今風にアレンジされた浴衣の柄は、胸ときめかないけれど、昔の浴衣のセンスには、ほんとドキドキしてしまう。マリメッコのファブリックもカワイイけれど、浴衣柄の可愛さは、北欧ファブリックに決して負けてません。





あまりきれいに撮れていない写真もあるので、おはずかしい。
2008年04月19日
山鹿の八千代座
少し前に、熊本県は山鹿の八千代座へ行ってきました。福岡にも、嘉穂劇場という芝居小屋があり、そこも行ってみたいのだけど、山鹿はとてもいいところだと伺ったので、足を伸ばしました。
山鹿は温泉街で、古い日本家屋の保存が行われていて、福岡の吉井町にも通じるような、古い町並みを元にした町作りや、日本家屋の保存等が行われていて、雰囲気のいい町並みでした。町の道端にある、石造りの小さな祠には、きちんと花があげられて、掃除も行き届いていて、住んでいる人たちが、それらの祠に愛情をそそいでいるのが、伝わってくるのが、とても素敵でした。なんか、ああいう祠が大事にされているのを見ると、バリ島の同じような祠のことを思い出してしまいます。私の実家の町も、道端に石造りの祠が沢山あるので、それを思い出すので、懐かしいです。昔の日本では、道端の祠を大事にしてたんですね。
そして、八千代座は、本当に素晴らしかったです!。内部に入ると、古色豊かな、日本的オペラハウスとでもいうような、魅惑の演劇空間に、もう、うっとり~。一階のフロアは、ステージを前に木製の桝席になっていて、その脇にやはり木製の花道が通っています。そして、その桝席を囲むように、ステージ以外の3方の壁側が、1階席、2階席の2階層構造の客席が、回廊のようにグルリと、囲んでいます。それが、ちょっと、西洋のオペラハウスを連想させる感じがします(行ったことないけど(笑))。そして、その回廊座席の背後には、木製の障子窓がはりめぐされていて、また、その雰囲気が何とも言えません。それほど、広い空間ではないですが、濃縮された、とても濃い磁場のような魅力があって、すばらしい空間には、広さというものは、関係ないということを、改めて感じてしまいます。
何で、ああいう、日本的な空間って、落ち着くのかしらん?。また、落ち着くとは言っても、ハレの場らしい、非日常のムードを持っていて、それで又、気分が高まるのです。見た形は、日本建築の様式ですが、明治期ということもあり、建築構造的には、部分的に、トラス構造など西洋式の建築技術を流用しているとのこと。しかし、江戸時代の芝居小屋の様式を今に伝える劇場だそう。確かに、内部にいると、江戸時代とか明治などの、古い時代の日本にタイムスリップしたかのような気分になります。古い日本の建築物は、京都のお寺など、よく目にする機会があるけれど、その建物の時代の雰囲気を味わった気分になることは、なかなか無い気がします。それは、この建物が、こうやって、今も、町の人たちに使われている建物だからかもしれません。使われなくなった建物は、物としては残ってはいても、もう死んだ建物なのかもしれませんね。
見学したときは、町の中学校の吹奏楽部の定期演奏会が行われていたので、通常のような、舞台裏の見学などはできなかったのですが、客席にお客さんがびっしり入っていて、実際に使われる様子を見ることができて、とても良かったです。劇場としての雰囲気を知りたければ、何か実際に公演が行われる時に見たほうが、臨場感があって、いいかもしれません(一般客は入場不可のイベントもあります)。また、公演の時の座席に敷かれた、八千代座のロゴの入った特製座布団が、また、大変素敵でした。ただし、構造の特性上か、空調は全く配備されていないようだったので、冬は寒いみたいです。その日は、寒い日ではなかったけれど、少し冷えていたので、会場内では、毛布を膝にかけたりしてる人たちがいました(会場で毛布を配ってるみたい)。でも、そういう設備上のマイナス面も、とてもナチュラルでいいかも、と、逆に愛着に思えてしまうくらい、すばらしい魅力のある劇場です。
八千代座は、公式HPによると、山鹿の商工会が劇場組合を作り、1株30円の株券を募って建てられたもので、1910年(明治43年)に着工され、同年12月に竣工されたそう。昭和40年代に、娯楽の多様化の中で、八千代座は衰退していき、建物は朽ち果てていったそうなのですが、その様子に心を痛めたお年寄りたちが、老人会で「瓦一枚運動」で募金を募り、瓦を修復。それから、若者たちも巻き込んで、地元の方たちで、八千代座の復興へ向けて運動を行い、それが元で、今日の姿があるそうです。そのエピソードが又、感動してしまいます。昭和63年には、国の重要文化財に指定されています。いい町並み、街づくりの為には、住民の力や団結が欠かせないのですね。
そういえば、山鹿まで、高速道路を通らずに、3号線をいったのですが、熊本へ行くときは、3号線を使うのは、あまりポピュラーでないので、あまり、通ったことがなかったのだけど、3号線沿いの山の中の光景が、昔ながらの風情のある景色をよく残してる部分があって、面白かったです。山の上にある小さな神社への参道の、なんとも味のある石段や、私の地方ではあまり見かけないけれど、村の小さな山や丘の上に、壁の無い、屋根と床だけの木造の集会所か、神社のような建物が、よく建っていて、とても興味深かったです。
八千代座の公式HP
http://www.yachiyoza.com/
山鹿は温泉街で、古い日本家屋の保存が行われていて、福岡の吉井町にも通じるような、古い町並みを元にした町作りや、日本家屋の保存等が行われていて、雰囲気のいい町並みでした。町の道端にある、石造りの小さな祠には、きちんと花があげられて、掃除も行き届いていて、住んでいる人たちが、それらの祠に愛情をそそいでいるのが、伝わってくるのが、とても素敵でした。なんか、ああいう祠が大事にされているのを見ると、バリ島の同じような祠のことを思い出してしまいます。私の実家の町も、道端に石造りの祠が沢山あるので、それを思い出すので、懐かしいです。昔の日本では、道端の祠を大事にしてたんですね。
そして、八千代座は、本当に素晴らしかったです!。内部に入ると、古色豊かな、日本的オペラハウスとでもいうような、魅惑の演劇空間に、もう、うっとり~。一階のフロアは、ステージを前に木製の桝席になっていて、その脇にやはり木製の花道が通っています。そして、その桝席を囲むように、ステージ以外の3方の壁側が、1階席、2階席の2階層構造の客席が、回廊のようにグルリと、囲んでいます。それが、ちょっと、西洋のオペラハウスを連想させる感じがします(行ったことないけど(笑))。そして、その回廊座席の背後には、木製の障子窓がはりめぐされていて、また、その雰囲気が何とも言えません。それほど、広い空間ではないですが、濃縮された、とても濃い磁場のような魅力があって、すばらしい空間には、広さというものは、関係ないということを、改めて感じてしまいます。
何で、ああいう、日本的な空間って、落ち着くのかしらん?。また、落ち着くとは言っても、ハレの場らしい、非日常のムードを持っていて、それで又、気分が高まるのです。見た形は、日本建築の様式ですが、明治期ということもあり、建築構造的には、部分的に、トラス構造など西洋式の建築技術を流用しているとのこと。しかし、江戸時代の芝居小屋の様式を今に伝える劇場だそう。確かに、内部にいると、江戸時代とか明治などの、古い時代の日本にタイムスリップしたかのような気分になります。古い日本の建築物は、京都のお寺など、よく目にする機会があるけれど、その建物の時代の雰囲気を味わった気分になることは、なかなか無い気がします。それは、この建物が、こうやって、今も、町の人たちに使われている建物だからかもしれません。使われなくなった建物は、物としては残ってはいても、もう死んだ建物なのかもしれませんね。
見学したときは、町の中学校の吹奏楽部の定期演奏会が行われていたので、通常のような、舞台裏の見学などはできなかったのですが、客席にお客さんがびっしり入っていて、実際に使われる様子を見ることができて、とても良かったです。劇場としての雰囲気を知りたければ、何か実際に公演が行われる時に見たほうが、臨場感があって、いいかもしれません(一般客は入場不可のイベントもあります)。また、公演の時の座席に敷かれた、八千代座のロゴの入った特製座布団が、また、大変素敵でした。ただし、構造の特性上か、空調は全く配備されていないようだったので、冬は寒いみたいです。その日は、寒い日ではなかったけれど、少し冷えていたので、会場内では、毛布を膝にかけたりしてる人たちがいました(会場で毛布を配ってるみたい)。でも、そういう設備上のマイナス面も、とてもナチュラルでいいかも、と、逆に愛着に思えてしまうくらい、すばらしい魅力のある劇場です。
八千代座は、公式HPによると、山鹿の商工会が劇場組合を作り、1株30円の株券を募って建てられたもので、1910年(明治43年)に着工され、同年12月に竣工されたそう。昭和40年代に、娯楽の多様化の中で、八千代座は衰退していき、建物は朽ち果てていったそうなのですが、その様子に心を痛めたお年寄りたちが、老人会で「瓦一枚運動」で募金を募り、瓦を修復。それから、若者たちも巻き込んで、地元の方たちで、八千代座の復興へ向けて運動を行い、それが元で、今日の姿があるそうです。そのエピソードが又、感動してしまいます。昭和63年には、国の重要文化財に指定されています。いい町並み、街づくりの為には、住民の力や団結が欠かせないのですね。
そういえば、山鹿まで、高速道路を通らずに、3号線をいったのですが、熊本へ行くときは、3号線を使うのは、あまりポピュラーでないので、あまり、通ったことがなかったのだけど、3号線沿いの山の中の光景が、昔ながらの風情のある景色をよく残してる部分があって、面白かったです。山の上にある小さな神社への参道の、なんとも味のある石段や、私の地方ではあまり見かけないけれど、村の小さな山や丘の上に、壁の無い、屋根と床だけの木造の集会所か、神社のような建物が、よく建っていて、とても興味深かったです。
八千代座の公式HP
http://www.yachiyoza.com/
2008年01月07日
デザインのマイナーチェンジ
イタリアへ旅行に行った時に、パッケージデザインについて思ったこと。イタリアのパッケージデザインは、昔のままのものが、結構沢山ある、ということ。お菓子の箱のデザインなどなど。
その点、たとえば、日本のお菓子のパッケージのデザインは、昔から長く発売されてるものでも、なぜか、たびたび、パッケージデザインを変更していて、それがとても不思議すぎる。家電も、しょっちゅう、デザインが変更されていて、何の商品でも、昔のままのデザイン、というものが、とても少ない。
たとえば、香港の薬品で、白花油というのがあって、その瓶や、箱の、50年以上変わってないような、とてもノスタルジックなデザインが、とても素敵で、大好きだ。タイガーバームのパッケージも、多少変更になってるかもしれないけど、昔ながらな、デザインが、いい。

そんな中、日本の製品で、パッケージが昔のままのデザインが、ちゃんと残っているものが、少ないながら、ある。それは、スーパーの棚を見ていて、きづいたのだけど、たとえば、洗濯糊(今まで、使ったこと無いな~)。それから、仏壇にあげるお線香のデザイン。食べ物では、ぼんたん飴の箱。あとは、薬局で売ってる、もぐさのパッケージ。それらに、共通するのは何か、というと、若者は、あまり買わないで、購入者の殆どが、お年よりだと考えられる商品、だということ。だから、古いデザインが残ったままなんだろうか。
とはいえ、香港の白花油は多分、若者も買う商品な気がする。この日本との差は、一体、どうして生まれるのだろう?。
そうめんの揖保の糸のパッケージも、食品では、数少ない、日本の古いデザインを残したデザイン。揖保の糸は、若者も買わないことはないので、そういう商品にしては、珍しい例かも。古いデザインをそのまま使うことは、特に、パッケージの場合は、商品に風格や重みを感じさせるので、とてもいいことだと、私は思う。
その点、たとえば、日本のお菓子のパッケージのデザインは、昔から長く発売されてるものでも、なぜか、たびたび、パッケージデザインを変更していて、それがとても不思議すぎる。家電も、しょっちゅう、デザインが変更されていて、何の商品でも、昔のままのデザイン、というものが、とても少ない。
たとえば、香港の薬品で、白花油というのがあって、その瓶や、箱の、50年以上変わってないような、とてもノスタルジックなデザインが、とても素敵で、大好きだ。タイガーバームのパッケージも、多少変更になってるかもしれないけど、昔ながらな、デザインが、いい。

そんな中、日本の製品で、パッケージが昔のままのデザインが、ちゃんと残っているものが、少ないながら、ある。それは、スーパーの棚を見ていて、きづいたのだけど、たとえば、洗濯糊(今まで、使ったこと無いな~)。それから、仏壇にあげるお線香のデザイン。食べ物では、ぼんたん飴の箱。あとは、薬局で売ってる、もぐさのパッケージ。それらに、共通するのは何か、というと、若者は、あまり買わないで、購入者の殆どが、お年よりだと考えられる商品、だということ。だから、古いデザインが残ったままなんだろうか。
とはいえ、香港の白花油は多分、若者も買う商品な気がする。この日本との差は、一体、どうして生まれるのだろう?。
そうめんの揖保の糸のパッケージも、食品では、数少ない、日本の古いデザインを残したデザイン。揖保の糸は、若者も買わないことはないので、そういう商品にしては、珍しい例かも。古いデザインをそのまま使うことは、特に、パッケージの場合は、商品に風格や重みを感じさせるので、とてもいいことだと、私は思う。
2007年09月11日
街の公共的空間
香港へ行くと、街角に、飲茶を楽しめるレストランや茶楼があって、早朝(朝の飲茶のことを早茶と言う)やランチタイムに、飲茶を食べながら、わいわい語りあう人たち、新聞を読む人たちで、にぎわう。または、茶餐店という喫茶店と食堂が一緒になったような、大衆ティールームで、朝ご飯を食べる人、おやつを食べる人などなど。
ブラジルだったら、街角にBarがある。軽食の揚げ物など、食事もできるけれど、Cafe Com Leite(カフェ・オ・レ)やビールなど、飲み物を飲めて、ご近所さんの憩いの場になってる。夜は、店にあるテレビで、ご近所さんが集まって、サッカーを見てたり、サンバの楽器を持ってパゴージをしてたり。店でありながら、街の風景になじんだ、ある種、公共空間。イタリアだったら、やはり街角のBARで、朝に、朝食を取る人が出勤前に立ち寄って、「おはよう!」と挨拶して、コーヒーやパンをとっている。
日本に、そういう、街角の空間って、あるんだろうか?。
ブラジルだったら、街角にBarがある。軽食の揚げ物など、食事もできるけれど、Cafe Com Leite(カフェ・オ・レ)やビールなど、飲み物を飲めて、ご近所さんの憩いの場になってる。夜は、店にあるテレビで、ご近所さんが集まって、サッカーを見てたり、サンバの楽器を持ってパゴージをしてたり。店でありながら、街の風景になじんだ、ある種、公共空間。イタリアだったら、やはり街角のBARで、朝に、朝食を取る人が出勤前に立ち寄って、「おはよう!」と挨拶して、コーヒーやパンをとっている。
日本に、そういう、街角の空間って、あるんだろうか?。
2007年09月07日
デザイン
ちょっと前に思いついて、デザインについて書くブログを作りたくなったので、始めてみます。
デザインを語るのは、ちょっと、非力な感じがする。語るより、作るほうが、楽しいし、格好いい。
けれど、景観やプロダクトデザインなど、日本の生活の中のデザインを取り巻く環境を見ていると、何か言わずにいれない。というより、建築やデザインの話が好き、というのもあるけれど。多分、デザインの話なら、話し出したら、あっという間に4、5時間経ってしまいそう。
ちょっと前に読んだ時は、あまり大きな印象が無かったけど、最近読み返してみたら、深澤直人さんの本「デザインの輪郭」の、P90の、「ふつう」の感触という項の文章に、なるほどと、改めて、深く共感してしまう。抜粋すると、
海外の人の方が、幸せの本質をからだで知ってる人が多いというか、日本人のなくしてしまったものは、そういう小さい頃からの感性だと思います。自然の中にいて、それを生活の中に溶かして味わう感性を、外国人のほうがいまだに持ってると思う。(中略)
外国にはまだ生活のすぐそばに緑もあるし、そういうところに座ってお茶が飲めるし、仕事の合間に外に出て子供と会ったり、家に帰って外で仕事をしたりと。昔あたりまえにあったような幸せの感触を知っている人が多い。だからふつうの食器とか、家具とか、ふつうの家が残っているんです。
ふつうにいい本質的な生活があるから、もののデザインにさほど執着しなくてもいい。だから、安定したデザインを皆同じように選ぶのです。
この一文に、深く考えさせられる。
良いデザインって何だろう?。
中途半端にデザインするくらいなら、デザインしないほうがいい。ノー・デザイン万歳!。
何で、ノー・デザイン・カンパニアかというと、ラーメンズのポスターとかのアートディレクターの水野さんの会社が、グット・デザイン・カンパニーという名前で、それを見て、「ノー・デザイン・カンパニー」という会社名いいかも、と思ったから(笑)。
果物屋の店先のデザインなんていかが?。郊外型ショッピングセンターの店舗設計と、どっちが良い?。
デザインを語るのは、ちょっと、非力な感じがする。語るより、作るほうが、楽しいし、格好いい。
けれど、景観やプロダクトデザインなど、日本の生活の中のデザインを取り巻く環境を見ていると、何か言わずにいれない。というより、建築やデザインの話が好き、というのもあるけれど。多分、デザインの話なら、話し出したら、あっという間に4、5時間経ってしまいそう。
ちょっと前に読んだ時は、あまり大きな印象が無かったけど、最近読み返してみたら、深澤直人さんの本「デザインの輪郭」の、P90の、「ふつう」の感触という項の文章に、なるほどと、改めて、深く共感してしまう。抜粋すると、
海外の人の方が、幸せの本質をからだで知ってる人が多いというか、日本人のなくしてしまったものは、そういう小さい頃からの感性だと思います。自然の中にいて、それを生活の中に溶かして味わう感性を、外国人のほうがいまだに持ってると思う。(中略)
外国にはまだ生活のすぐそばに緑もあるし、そういうところに座ってお茶が飲めるし、仕事の合間に外に出て子供と会ったり、家に帰って外で仕事をしたりと。昔あたりまえにあったような幸せの感触を知っている人が多い。だからふつうの食器とか、家具とか、ふつうの家が残っているんです。
ふつうにいい本質的な生活があるから、もののデザインにさほど執着しなくてもいい。だから、安定したデザインを皆同じように選ぶのです。
この一文に、深く考えさせられる。
良いデザインって何だろう?。
中途半端にデザインするくらいなら、デザインしないほうがいい。ノー・デザイン万歳!。
何で、ノー・デザイン・カンパニアかというと、ラーメンズのポスターとかのアートディレクターの水野さんの会社が、グット・デザイン・カンパニーという名前で、それを見て、「ノー・デザイン・カンパニー」という会社名いいかも、と思ったから(笑)。
果物屋の店先のデザインなんていかが?。郊外型ショッピングセンターの店舗設計と、どっちが良い?。


